政治、芸能、事件、スポーツなど、いつかの東京で起こった”その日”の出来事をご紹介。今日は何の日?
1957年1月13日、浅草国際劇場で歌手・美空ひばりがファンの少女から塩酸をかけられる事件が発生した。
事件が起こった1957年(昭和32)、当時19歳だった美空は歌舞伎役者・大川橋蔵とともに、台東区芝崎町(現・西浅草)の浅草国際劇場で「花吹雪おしどり絵巻」に出演していた。公演は1月6日から始まり、千秋楽の1月13日は満員の人であった。美空は最後の楽曲「ケ・セラ・セラ」を歌うため、ビロードのドレスを着て舞台袖で出番を待っていた。その時、舞台上にひとりの少女が駆け上がり、「ひばりちゃん」と声をかけた。美空が目を合わせた瞬間、少女は顔に目がけてビンに入った液体をふりかけた。美空は「キャーッ!」と叫んでその場にうずくまってしまった。一瞬の出来事だった。

この時、周辺にいた大川やスタッフも軽症を負った。なお、少女を取り押さえたのは、浅草のブロマイド業者「マルベル堂」の専務、斉藤牛之助氏であったという。
ビンの中に入っていたのは300グラムの塩酸であった。顔や腕、胸元に火傷を負った美空は、近くの浅草寺病院に緊急搬送された。全治およそ3週間。ドーランを塗っていたことが幸いしたのか、傷はほとんど目立たず回復をみた。復帰は思いがけず早く、1月29日の大阪北野劇場での「ひばりの花ひらく歌声」であった。

1937年(昭和12)に開館した松竹運営の「浅草国際劇場」。松竹歌劇団によるショーで人気を博したが、1982年(昭和57)に閉館。跡地には「浅草ビューホテル」が建っている。
大人気スターの公演中に起こった事件とあって、新聞各紙がこぞってこの報を伝えた。少女の動機は”嫉妬”だった。犯人の少女は美空と同い年の19歳。郷里の山形県米沢から上京し、板橋区で住み込みの女中をしていた。美空の熱狂的なファンで、自室にもブロマイドを貼っていたという。少女は勤め先に「世の中がいやになった。死にたい」と書き置きを残し、上野駅で塩酸を買って犯行に及んだのだった。手にしていてた手帳には「ひばりちゃんに夢中になっている。あの美しい顔、にくらしいほど。みにくい顔にしてみたい」と書かれていた。それだけでなく「ひばりちゃん、ごめんなさい」との記述もあった。華々しく活躍する同い年の美空と自身の置かれた境遇との間に絶望を見たのかもしれない。
のちにルポライター・竹中労が『美空ひばり―民衆の心をうたって二十年』(1965年/弘文堂。のち朝日文庫『美空ひばり』、ちくま文庫『完本・美空ひばり』)の中で、事件から8年後の美空本人の回想という形でこのように記している。
「私は、こう思います。あの塩酸は私にではなく、ゆがんだマスコミの鏡の中の、“人気”という怪物に浴びせかけられたのにちがいないと。もしその娘さんが、潮来の水の上で泣いていた加藤和枝の、ほんとうの美空ひばりの涙をみていたら、けっしてあんなことはしなかっただろうと。おなじ一九歳の、その人と私との間に、暗く大きくひらいた距離に、私は慄然としました」