2016年1月4日
〈今日は何の日?〉晒し首が廃止になった日ー1879年「明治政府太政官布告1号を交付」
イラスト_ルーカス・D・マーカス、文_編集部
政治、芸能、事件、スポーツなど、いつかの東京で起こった”その日”の出来事をご紹介。今日は何の日?
1879年1月4日、明治政府が梟首(きょうしゅ)刑を廃止する太政官布告を交付した。
梟首刑とはすなわち晒し首のこと。打ち首のあと刎ねた首を獄門台と呼ばれる台に乗せ、3日間にわたり民衆の前に晒す公開処刑である。平安時代に始まったとされる死刑のひとつで、江戸幕府が刑罰のひとつとして取り入れた。死刑の執行やその後の処理は被差別階級の人々に任されることが多かったが、罪人を試し斬りすることで将軍家に納める刀の精度を試す「山田浅右衛門家」のような専門職も存在した。

罪人は丁寧に埋葬されることは少なく、予め掘られた穴に遺体を落とし土をかけておく程度であった。
明治に入り西洋化が推し進められるなかで刑罰も見直され、まずは火刑、磔が禁止に。1879年(明治12)には梟首刑が廃止となった。この時点では晒し首が廃止となっただけで、斬首はまだ続行されていた。1882年(明治15)には新たな刑法が施行され、斬首は廃止となった。その後の死刑は絞首刑に絞られた。
梟首刑が実施された処刑場は日本各地にあったが、中でも有名な場所は現品川区南大井の鈴ヶ森刑場、および荒川区南千住の小塚原刑場の二箇所であったとされる。鈴ヶ森刑場跡には、今も罪人の首を塩水で清めたという「首洗いの井戸」や、火刑を行った柱の土台である「礎石」が残っている。