政治、芸能、事件、スポーツなど、いつかの東京で起こった”その日”の出来事をご紹介。今日は何の日?
1911年12月31日、「東京市電」で全線がストップする6000人規模の大規模ストライキが発生した。

東京市電のストライキは、交通事業史上初めてのストライキだった。
東京市電の前身の「東京鉄道」は、品川ー新橋間を走行する「東京電車鉄道」と、数寄屋橋ー神田橋間を走る「東京市街鉄道」、土橋ー御茶の水間を走る「東京電気鉄道」の3社が合併し、1906年(明治39)に誕生した鉄道会社だった。その5年後、1911年(明治44)に東京市がこれを買収。東京市電気局が開設され「東京市電」となった。
ストライキの発端は、この市営への移管にともなう、「東京電車鉄道」の解散手当の分配によるものだった。
12月28日から30日にかけて配当額が決定されたが、重役には49000円、上級職員には392円が支払われたところ、運転手と車掌たちにはわずか46円しか分配されなかった。これに「予想の半分以下」と労働者たちの不満が爆発したのである。
30日に数名が本所深川でストライキを企てたが、一旦は沈静化。しかし火の粉は港区の三田車庫に飛び火し、大晦日の早朝には車掌650人、運転手484人がストライキに入った。三田車庫の運転区域である品川、上野、浅草、三田、巣鴨、本郷の全ての電車がストップし、三田車庫の情勢を受けて新宿線も休止となった。
こうして総勢6000人が参加する大規模なストライキに発展。大晦日、元旦の2日間にわたり、東京市電は全線運休する事態となった。東京市電では年末年始の終夜運転を広告していたため、多くの市民が帰宅できず路頭に迷ったという。1月2日になってようやく東京市が事態の収拾に動きだし、重役の配当金を再分配する形で騒ぎは収まった。これにより、労働者たちは当初の額面の2倍から3倍の金額を受け取ったという。そのかわり、1900年(明治33)に制定されていた治安警察法違反により、64名が逮捕されることとなった。