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2018年の恵方は「南微東」! 大行列の西早稲田・穴八幡宮で「一陽来復」を手に入れる(新宿区)
師走の慌ただしいなか、冬至の日の早稲田通りには毎年長い行列が出来る。歩道はほとんど人で埋まり、通行者は列を避けるように道路を歩いてゆく。これは一体何の列なのだろうか。

JR高田馬場駅から東西線の早稲田駅へ向かうと行列が見えてくる。
由来は”打出の小槌”にあり
「一陽来復」のご利益
人々が求めるのは、穴八幡宮で授与される「一陽来復」だ。長さ15センチほどの白い筒状の紙でできたお守りで金銀融通のご利益があるとされ、これを求めて毎年多くの参拝客が訪れる。

「一陽来復」。数え方の単位は「体(たい)」。
金運を呼び込むとされる由来は、穴八幡宮に伝えられる「打出の小槌」による。723年(養老7)に聖武天皇が龍神から授かった福神で、これをもとに作られたのが「一陽来復」なのだという。この言葉は”陰極まって当時に一陽が生ずる”という中国の易経にちなんだもので、冬が終わり春が来る、悪いことが良いほうへ向かうという意味も込められている。
特に自営業を営む人や個人事業主にとっては、商売繁盛を祈願するための節目のイベントと捉えて、毎年参拝する人が多いようだ。
もうひとつのお守り
放生寺の「一陽来福」
また、神社の裏手には光松山放生寺という寺社があり、こちらでもお守りを授けている。こちらは「一陽来”福”」と文字が一字違っているのが特徴だ。起源は「一陽来復」と同じく中国の易経であり、そこに”授与された方たち全てに沢山の「福」が来るように”という願いを込めて最後の一文字を「福」としているという。

「一陽来復」とは形状がやや異なる「一陽来福」。

穴八幡宮の裏手にある光松山放生寺。
この習わしは江戸時代に始まったとされている。当時は神仏習合思想があり、穴八幡宮と放生寺は「光松山放生寺八幡神社」というひとつの社殿だった。1868年(明治元年)の神仏分離令によって寺と神社に分かれたが、このお守りを授ける風習はそれぞれの寺社に残ったのだ。
どちらかひとつしか選べない、というわけではないし、ふたつとも買わなければいけないというものでもない。ふたつの社寺を訪ねて、それぞれの案内をチェックしてみるのも面白いだろう。