60年代後半から70年代にかけ日本のカルチャー史に濃厚な足跡をのこした“アングラ”文化。展覧会や書籍、記録映像で、その表現に触れ影響を受けた方も多いだろう。当時の担い手たちには伝説的な大御所も含め、現役の作家やグループも数多い。そんな元祖“アングラ”の現場は、今も熱を帯びているのだろうか?
今回訪れたのは、高円寺駅、中野区大和町の「劇団唐組」アトリエ。1967年の「紅テント」での状況劇場の野外公演を皮切りに、寺山修司らとともに“アングラ演劇”の代表格として名をあげ、脚本・演出・役者のみならず文筆家としても知られる唐十郎が率いる劇団だ。根津甚八、小林薫、佐野史郎といった役者から、横尾忠則、篠原勝之、赤瀬川原平といったアーティスト、山下洋輔のような音楽家など、唐十郎の芝居に関わった表現者は枚挙にいとまがないが、紅テントは今も元気に稼働中。新宿・花園神社や雑司が谷・鬼子母神に年二回、内臓のように赤いテントが忽然と現れ、夜な夜な公演が行われている。異様な長ゼリフ、突飛な展開、不条理さを丸め込むアップテンポなリズム、薄汚れたような舞台美術、観客の掛け声に、テントを開いて路上に飛び出す役者たち……、唐十郎の戯曲からなるパワフルな唐組の芝居は、その内容こそ変わらないが、30年を経て世代交代をむかえようとしている。お話を聞いたのは、二人のベテラン劇団員。座長代行の久保井研氏と、看板女優の藤井由紀氏だ。
入れば意外と落ち着く「紅テント」

昨年秋の本公演『黄金バット〜幻想教師出現〜』より、藤井演ずる主人公・ブドリが長ゼリフを語る場面
── 私は時折紅テントに行くのですが、唐組の芝居で驚くのは、学生くらいの方からご年配まで、お客さんの年齢層がとても幅広いんですよね。
久保井:そうですね。最近は特にそうかもしれません。うちは昔からの常連の方も多いけど、若い人が増えています。何か魅力を感じてもらえてるんですね。
── テント芝居自体も、今では珍しいですよね。入ると、思いのほか素朴な活気があります。
久保井:黒テントさんももうやっていないし、大阪の野外演劇フェスティバルも無くなったし、大規模なテント芝居は、ごくわずかになりましたね。演劇って常にそうですけど、テント芝居は特に同じものはできない。雨や風もあれば、暑かったり寒かったりで、天候の影響が大きいんです(笑)。だからかは分からないけど、同じ公演のリピーターもとてつもなく多いですよ。
藤井:テントは、最初はちょっと尻込みするかもしれないけど、入ってみると賑やかで意外と落ち着きますよね。床は地面にゴザをしくだけだからお尻も痛いけど、一回必ず休憩を挟むから、意外としんどくないんです。
── 唐十郎さんのテント芝居が始まったのは、1967年の花園神社での状況劇場『腰巻お仙』から。
久保井:当時は画期的だったでしょう。「何もないところにパッと立てて、芝居を打ってパッといなくなるんだ」という美学を唐さんは語っていました。
── 久保井さんと藤井さんは、いつからこちらにいらっしゃるんですか?
久保井:もう30年になります。ちょうど前身の状況劇場の解散後で、それまで一時期使っていた下町唐座という小屋も止めて、新調したテントとともに「劇団唐組」を立ち上げた頃です。ぼくは大学で芝居と出会い、卒業してからも自分が一番面白いと思えるのが、唐さんだった。そこで新人募集に申し込んだんです。
藤井:私はそれより後ですが、気づけば干支を二周り。ハーメルンの笛吹き男みたいに、唐さんにひょこひょこついていったらこうなってました(笑)。

80年代までの唐十郎の記録を収めた『写真集 唐組 状況劇場全記録』(1982年PARCO出版・現在は絶版)

資料を振り返りながら語る久保井氏と藤井氏
── 唐さんは2012年に脳挫傷で倒れてから、舞台にはあまり姿を見せなくなりました。今はどのような状況なんでしょうか?
久保井:唐さんは退院して復活したものの、さすがに現場でフル稼動は難しいんです。ですが座長はあくまでも唐さんだし、唐さんあってのテントだと皆思っています。作り方は変わったところもありますけど、基本的なあり方は変わりません。
── たしかに、以前と変わらない熱気があるように感じます。
久保井:巷でテントを見つけた人が持つ印象も、そこまで変わらないでしょう。アヤシイ芝居が中で繰り広げられていて、見たら圧倒されて、何日かして同じ場所に行くともう無くなっているんです(笑)。