2015年の今年も8月26日(水)、27日(木)の2日間で開催される東京の夏の風物詩「錦糸町河内音頭大盆踊り」。大阪・河内地方という遠く離れて生まれた文化は、如何にして墨田区錦糸町に根付いたのか?また、独自のものに発展したのか? 関係者の話をもとに、音楽ライター・編集者の磯部涼が祭の核心に迫る。(※この記事は、2015年1月発売の雑誌『TOmagazine』の墨田区特集号からの転載になります)
首都高速道路7号線下
何処からか、音頭が聴こえてくる。実際の立地を考えるとそんなはずはないのだけれど、JR錦糸町・南口を出ると、何の変哲もない駅前広場であるのにも関わらず、特殊な磁場に足を踏み入れるのと同時に、独特のリズムとメロディが耳に届いたような気がした。やがて、その幻は、京葉通りを渡り、丸井の角を曲って飲み屋が並ぶ牡丹橋通りを進むに連れて、確かなものになっていく。いや、むしろ、自分は幻に飲み込まれたのかもしれない。

錦糸町駅から徒歩5分。竪川親水公園下で開催される、錦糸町河内音頭は、例年規模を増しているが、大きな資本を入れずに行われている。あくまで町内のお祭りである。

毎年、音頭取りを大阪から招いている。2014年は堺市で活躍する本家秋月会と、藤井寺市を本拠地とする五月会の対決形式で開催。各会派ごとに音頭取り、太鼓、ギター、お囃子など総勢12名で構成されている。

踊り場には外と内の二つの輪がある。外では主に錦糸町マンボ、内では手踊りや流しなどが踊られている。

休憩スペースではシートを敷き、思い思いにくつろぐ人たちの姿が。地元の子どもたちも多数参加する。
通りに掛かった首都高速道路7号線を潜ると、そこには、非現実的な光景が広がっていた。真っ赤な提灯の壁に照らされた巨大なステージの上では、太鼓や三味線、エレクトリック・ギターの粘っこい演奏に乗せて、着物姿の歌い手がコブシを効かせている。そして、それがサウンド・システムで増幅され、高架に反響し、会場の竪川親水公園を包み込む。中心部では、数百人の老若男女が大きく渦を巻きながら、ステップを踏み、飛び上がり、回転している。
その、東京のいわゆる盆踊りとは一線を画した熱気は、フェスやレイヴとも共通するようで、また違った新鮮さを持つ。筆者は、過去と現在が混ざり合っていくような奇妙な気分を味わっていた。
8月27日、夕刻。今年で33年目を迎える「錦糸町河内音頭大盆踊り」の最終日が始まった。