下北沢駅西口から少し離れた、代田の細い道にあるカレー店〈YOUNG〉。こっくりとした欧風カレーを主とするこの店は、2015年にオープンしてわずか1年という期間ながら、カルチャー誌やインターネットメディアで多く取り上げられ、東京のカレーを語るうえで欠かせない存在になった。カレー激戦区としても知られる下北沢にあって、下北沢を意識することはあまりないという店主の梶原英徳さん。場所に縛られない、新しい顔のカレー店を訪れた。

〈YOUNG〉入り口。

手前は野菜カレー、奥はチキンカレー。
〈Cityboy Curry〉から〈YOUNG〉へ
──もともとは、サラリーマン時代のケータリング〈Cityboy Curry〉からカレーづくりをスタートされたんですよね。
はい。フェスや小さいお祭り、友達のお店なんかを3年ぐらいかけてゆっくり回っていた感じですかね。最初は好きで作っていたので、特にそれを生業にしようと思ってたわけじゃなかったんです。でも「手に職をつける」じゃないですけど、ケータリングをやってるうちに手応えを感じて、これは受けるなと。それで、どこかに属しているより自分でやってしまったほうが早いかなと思ったんです。
そんなとき西荻窪の喫茶店「WANDERUNG」に食事をやってくれないかって頼まれて、ちょっと楽しそうだなあと。それでオーナー3人で分担して食事部門、経理部門、運営部門を作って、僕はそこでカレーを出していたんです。
──その経験があって、自分でも店をやってみたいなと思われたんでしょうか。
逆かもしれないです。声を掛けてもらったことで、予行演習というか、お店を作るっていうのはどういうことなのかなっていうのを考えることができたんですよね。

店主の梶原英徳さん。千歳烏山出身の世田谷っ子。
──なるほど、もう店をやるということが早い段階で見えていたんですね。〈YOUNG〉をこの場所に選んだのはどういう理由からですか?
まず、僕は世田谷出身なんですね。世田谷の田舎の千歳烏山というところなんですけど、そもそも〈Cityboy Curry〉はそんな烏山の人間がシティボーイを名乗っているのがウケる、って感じだったんですよ。そしたら『POPEYE』さんがリニューアルされて、シティボーイっていうキーワードを大々的に打ち出すようになって恥ずかしかったんですけど(笑)。
──(笑)。
店は、最初から世田谷で探してたんです。一時「WANDERUNG」のあった西荻でも探してたんですけど、世田谷のほうが自分にフィットする気がして。世田谷線沿いとか、友だちが多くてみんながふらっと来てくれそうなところがいいなあと。
──当初はどの辺りに目を付けていたんですか?
松陰神社とか上町ですかね。下北は賃料が高いと思って考えてなかったんです。でもチャリでプラプラしてみたり、帰り道にふらっと下北に寄ったりした時に「あっ、ここ空いてるなあ」と。正面に小屋があるのを見て「お花屋さんと一緒にやったら面白そうだなあ」と思ったんです。
──お花屋さんの「Forager」さんがお店の手前にありますよね。
はい、フローリストのChi-koさんに「一緒にやりましょう」と声をかけました。ひとつのお店をシェアしているところって多いじゃないですか。花屋とカレー屋っていうのも意外と面白いのかなあって。

入り口手前の小屋が花屋「Forager」。花の甘い香りが漂う。
──お互いのコミュニティを共有して、お客さんになってくれるというか。
はい。僕はそういうのがすごく大事だと思っていて、お店を見た時に一緒に楽しくやれそうな人っていうのがすぐ思いついたので、全部ががっちり来たというか。店内のお花は全部「Forager」さんのものです。