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東京イチの危険地帯 墨田区から考える東京の災害(前編)

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東京イチの危険地帯 墨田区から考える東京の災害(前編)
FEATURE
東京で起こっているハイパーローカルな動向を独自取材し、特集形式でお届け。
2016年4月30日
東京イチの危険地帯 墨田区から考える東京の災害(前編)
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文_江口晋太朗、バナーデザイン_siun、編集_桜井祐
日本は災害から何を学び
何を学ばなかったのか

さて、墨田区における災害との付き合い方を考えるにあたり、まず検討したいのは日本という国、東京という都市単位における、災害への取り組みだ。これまで幾度となく大規模な災害に見舞われ、その度に立ち直ってきた歴史を持つ日本と東京。その経験を振り返ることは、墨田区の今後を考える上で、何かしらの示唆を与えてくれるだろう。

日本の歴史は、災害の歴史でもある。今なお爪あと残る2011年の東日本大震災や1995年の阪神淡路大震災、1993年の北海道南西沖地震。地震以外にも1991年の雲仙普賢岳の大火砕流や1986年の伊豆大島の噴火、1982年の長崎水害など、大規模災害の例は、ここ数十年を振り返ってみただけでも、枚挙に暇がない。これらの災害から、われわれは何を学んできたのだろうか。

(気象庁ホームページより)

阪神淡路大震災における、気象庁の現地調査の様子(気象庁ホームページより)

死者6,000人以上を出した阪神淡路大震災は、当時、戦後最も大きな地震として全国に衝撃を与えた自然災害であり、防災機関の初動が遅れたことで、災害救助や消火活動が円滑にできなかったという課題を浮き彫りにした都市型災害でもあった。一方で、多くのボランティアが被災地に集まり、活躍した「ボランティア元年」でもあり、これをきっかけに災害対策に防災ボランティア活動の環境整備などが盛り込まれるようになる。

特徴的だったのは、約9割が自宅の倒壊による圧死やガラスの破片による切傷など、建築・家具関連の被害を受けていたことだ。その原因に、関西地区は防災対策の意識が低かったことが挙げられるだろう。それまで関西方面では、大きな地震が発生した経験に乏しく、「関西で大地震は起こらない」といった根拠のない住民心理が働いていたのだと考えられる。目に見えるケガや病気と違い、災害はどこか自分とは無関係な心理傾向になりがちだ。だからこそ、防災は個人レベルの意識ではなく、社会全体としての対応が求められる。

実はそんな「災害に対する社会として仕組みづくり」を、約90年前の東京で行おうとしていた人物がいた。明治から大正にかけ、満鉄初代総裁、逓信大臣、内務大臣、外務大臣、東京市第7代市長などを歴任した、政治家の後藤新平だ。

 

次のページ:防災都市構想が危険地帯をつくったという皮肉

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