椅子や絨毯にびっしりと縫い付けられた無数のぬいぐるみ。一見、無作為に配置されているようでいて、よく見ればそれぞれが収まるべき場所に正しく収まっているのがわかる。アーティスト、キムソンへ氏の作品の数々は、いわゆる原宿的「カワイイ」を越えて、可愛さと狂気が共存する異形の魅力を携えている。

「Gremlins Room for Gremlins」

「Junk Doll Chandelier for frankygrow」

「STÜSSY WOMAN Junk Light for STÜSSY WOMAN」
今回、活動10周年を記念して、自費出版の作品集『TROPHY』を刊行したキム氏。そこには過去の作品群はもちろん、フォトグラファーの市橋織江が撮り下ろした朝鮮学校と銭湯でのビジュアルが多数収録されている。また発売と同時に、ラフォーレミュージアム原宿で個展を開催。原宿は、キム氏が学生時代に足しげく通った遊び場でもあった。
キム氏は杉並区で生まれ、朝鮮という自らのバックボーンを抱えながら、東京のファッションカルチャーが渦巻く渋谷や新宿、池袋、そして原宿の空気の中で育った。限りなくポップな彼女の作品からは、どこか懐かしさを感じる。その手触りには、どんな背景があるのだろうか。開催中の個展会場で話を聞いた。
杉並生まれ、杉並育ち
東京の街から受けた影響
──お生まれはどちらになるんですか?
生まれは笹塚です。住所は杉並区で、環七の近くですね。結婚するまで、24〜5年ぐらいずっと杉並区でした。都内のどこに行くにも近くて、子どもの頃からずっと遊び場が渋谷、原宿、池袋……という感じで。最近は旦那の実家がある北区に引っ越したんですけど、今でも「地元は?」と聞かれると杉並区ですね。

個展開催中、平日はなるべく会場にいるというキム氏。一角がワークショップのためのスペースになっている。
──杉並区と北区だとわりと雰囲気が違いますよね。
そうなんですよ。ただ、旦那は地元に戻れて嬉しそうです(笑)。結婚してから世田谷区に住んでたこともあるんですけど、旦那はなかなか馴染めなかったみたいですから。全然違うって。
──キムさんはずっと東京の都心で育ったんですね。そういった環境が、自分の作品に影響しているなと感じるところはありますか?
ああ、ゴチャゴチャしてるのはそこかなって思いますね。新宿が近かったせいか、あのギラギラした感じは受け継いでるかもしれないです。原宿で遊ぶことも多かったので、根底には原宿カルチャーもあると思います。確実に影響は受けてますね。
──今回ビジュアルになっている銭湯も印象的でした。
あれは湯船をぬいぐるみで埋めたいっていうところから始まったんです。

「稲荷湯 for TROPHY」
東京のあちこちの銭湯に声をかけたんですけど、なかなか撮影可能な銭湯が見つからなかったんですよね。諦めかけていたら、最後に訪ねた銭湯のご主人が「うちは難しいけど、あそこなら映画で撮影してたから大丈夫じゃない?」って、北区の滝野川にある「稲荷湯」という銭湯を紹介してくれて。映画「テルマエロマエ」のロケでも使われたところで、快くOKをいただいたんです。戦前から残ってる銭湯で、もうすごく雰囲気がいいんですよ。それに、偶然にも家の近くだったんです。
──壁画の富士山がすごく綺麗ですね。
富士山は欠かせないと思っていたら、イメージとぴったりでした。私も撮影当時はよく銭湯に行ってたんです。北区は銭湯が多いんですよね。
ぬいぐるみ×シャンデリア
誕生の経緯
──でも、そもそもなぜぬいぐるみなんでしょう。
小さい頃からぬいぐるみが大好きだったんです。親に買ってもらったり、大きくなってからは自分で買ったり。でも、並べておくとすごくかわいいんですけど、なんとなく「放っておかれてかわいそうだなあ」とも思っていたんです。

「Queen of A Teddy Bear for Kaela」
ただ、すぐに創作のモチーフにしたわけではなくて、洋裁の専門学校に行ってからは洋服を作ってました。卒業してアパレルブランドで働いていた時に、ショーの演出チームに回されて。演出家が大工みたいに石を砕いてシャンデリアを作っているのを見て、「あっ、シャンデリアって自分でも作れるんだ!」って驚いたんです。じゃあ私はぬいぐるみで作ろうと。シャンデリアになったら電気もつくし、部屋の真ん中に飾ってもらえる。寂しそうだったぬいぐるみが、みんなに見られて生き返るんじゃないかなって、そういうコンセプトでスタートしました。