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〈東京、視線の片隅で〉第5回「街の公衆トイレ」

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COLUMN
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鑑賞池

November 2019

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2017年11月15日
〈東京、視線の片隅で〉第5回「街の公衆トイレ」
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文・写真_鑑賞池
東東京、水際のトイレ

まずは私が一番最初に興味を持った蔵前にある公衆トイレに久しぶりに行ってみた。春日通りという大通りに面しているものの、特に近隣に公園などがあるわけではなく、文字通りトイレだけがある。なぜこんなところにあるのかはよくわからないが、主にタクシー運転手の用足しの場として利用されているようだ。

蔵前四丁目公衆トイレ。住宅街に唐突に存在する。

改めてトイレを探し始めると、東京の東側には「水際」に建つものをよく見かける。特に川沿いには必ずと行っていいほどある。先の蔵前の公衆トイレからほど近い厩橋に向かって歩くと、交番の隣に顔のデザインが特徴的なものを見つけた。厩橋自体は見に行ったときは修繕工事中であったが、作業用足場の「梱包感」が、現代美術家のクリストの代表作の一つ「梱包されたポン・ヌフ」を彷彿とさせる一つの芸術作品のように見えた。

厩橋際公衆トイレ。顔のデザインが印象的である。

梱包された厩橋。現代美術的である。

もちろん厩橋以外にもトイレは存在する。一つ上流の駒形橋の方に歩いて行ってみたが、そこでは煉瓦製のものを見つけることができた。また、浅草橋の方に歩いて行くと神田川が隅田川に合流するあたりで、屋形船が停留している少し東南アジアのような風景にマッチした懐かしいトイレがあった。小便器が未だに「壁」である。中国の都市部にまだ「ニーハオトイレ」が残っているかのような、そんなノスタルジーを覚えた。

神田川際にある公衆トイレ。今回見たものの中ではもっとも古いスタイルだった。

そして神田川といえば、万世橋のたもとのトイレも好事家には有名である。トイレの下に階段状の構造物があり、どこからも入ることができない「トマソン」様の建築物となっている(女子トイレのマンホールから入ることができるらしく、正確にはトマソンとはいえないかもしれないが)。一説にはかつての船の荷揚げ場の名残のだそうである。そのほかには、新川と八丁堀を分かつ亀島川のいくつかの橋にもトイレが存在している。

万世橋際にあるトイレ。

トイレの下にある「無用階段」。

亀島川にかかる亀島橋際にある公衆トイレ。

推測の域をでないが、水際にトイレが多いのは、かつて都市部の屎尿が農村に運ばれ肥料となり、農村からは農作物が運ばれるという循環が生じていたことと関係するのかもしれない。そのころ河川を利用した船での屎尿運搬がなされていたと『トイレ 排泄の空間から見る日本の文化と歴史』(屎尿・下水研究会編著)という本で読んだことがある。荒川や新河岸川に屎尿運搬船が多く通っていた記録も残されており、これは明治時代においても継続されていたそうである。なお、下肥は無料ではなく、農家や下肥業者は代金を払って屎尿の汲み取りをさせてもらっていたそうだ。ちなみに先述の万世橋のトイレは下肥を積み込んでいた和泉橋河岸にほど近い。

その後、関東大震災あたりを境に都市衛生という概念が発生し、この循環は少しずつ崩れていくことになる。さらに屎尿を汲み取るものの人手不足、化学肥料の普及も手伝い、いままで肥料として重宝されていた屎尿は、行き場に困り、ついには海洋投棄などもされたそうだ。しかし、戦時中には化学肥料の生産も激減し、屎尿の肥料としての価値が見直された時期がある。その頃はなんと鉄道が屎尿運搬を担っていた時期もあるらしい。関東エリアでは西武鉄道、東武鉄道がその役割を担っていたそうだ。

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