logo_s

〈今日は何の日?〉元号は昭和ではなかった?ー1926年「光文事件」

  • twitter
  • facebook
  • instagram
  • contact
COLUMN
TOwebだけで読める、連載陣によるオリジナルコラム。

今日は何の日班

October 2017

S M T W T F S
123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
2016.11 2017.1
今日は何の日班
PROFILE:
政治、芸能、事件、スポーツなど、いつかの東京で起こった”その日”の出来事をご紹介。今日は何の日?

LASTEST ENTRY

2016年12月25日
〈今日は何の日?〉元号は昭和ではなかった?ー1926年「光文事件」
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
イラスト_ルーカス・D・マーカス

1926年12月25日、大正天皇が静養中の葉山御用邸で崩御した。1912年に第123代天皇として在位し、14年というわずかな期間ながら、民主化に湧く日本を見つめ続け、崩御後には「大正天皇」と追号された。2月7日に新宿御苑で大喪の礼が行われたのち、多摩陵(現・武蔵陵墓地)に埋葬。初めて東京に陵墓を作った天皇である。

崩御が午前1時であったため、新聞各誌はこぞって朝刊および号外でこの一報を知らせた。そのうち『東京日日新聞』(東京初の日刊誌。現・毎日新聞)の誌面に掲載されていたのが、「元号は光文」という文字であった。

日本における元号の始まりは、「大化の改新」(645年)で知られる”大化”とされている。

日本における元号の始まりは、「大化の改新」(645年)で知られる”大化”とされている。

その後、午前11時頃に東京市麹町区にある宮内省が新しい元号を「昭和」と発表した。これにより、『東京日日新聞』は誤報を流したとして世間の避難を浴び、編集主幹が辞任に追い込まれる騒ぎに発展した。

では『東京日日新聞』の記者は「光文」の情報をどこから得たのだろうか。当時、次の元号は宮内庁と内閣府によって考えられていた。「光文」は内閣府側が出した案に入っていたとされるが、元号の選出に関しては宮内省主導で進められており、すでに「昭和」「神化」「元化」の3案に絞って推敲を行っていた。さらに、枢密院議長・倉富勇三郎の日記によると、12月8日の段階で次の元号は「昭和」に決定していたとされている。25日の段階でその他の案がまだ検討されていることは考えにくい。

そのため、何者かが内閣府による古い元号案を覗き見て、正しい情報と勘違いしたのではというのが通説となっている。

なお、1989年1月7日の昭和天皇崩御に際し、『東京日日新聞』の後身である『毎日新聞』は、夕刊で「新元号は平成」の大きな見出しを掲載した。元号の掲載はどの誌面よりも早く、もちろん正確であった。63年を経て『東京日日新聞』の雪辱を晴らしたのである。

RANKING

  • no.1
    無類の角打ち狂Mantaschool a.k.a MC.sirafuが...
  • no.2
    猫社員は今日も働く 新宿三丁目「カフェ アルル」が猫を雇う理由(新宿区...
  • no.3
    バリー・マッギーやマーク・ゴンザレス、トーマス・キャンベルら14名のク...
  • no.4
    池尻の住宅街に現れた黒い一軒家 クリエイティブチームCEKAI(セカイ...
  • no.5
    天才司会者・もんちゃんの妙技。蒲田のパブ「オアシス」が日本一の理由
PAGE TOP